<スーチー氏>龍谷大での講演要旨
毎日新聞 4月16日(火)0時57分配信 よりcopy
訪日中のミャンマーの最大野党「国民民主連盟(NLD)」のアウンサンスーチー議長(67)が龍谷大(京都)で15日に行った講演の要旨は次の通り。
私は良い仏教徒でありたいと思っているが、仏教の専門家ではない。今日は仏教の教えに沿って生活をしている一仏教徒として、お話をしたい。できるだけ短く10分間ぐらいで話をしたいと思う。皆さんから質問を受けたり、外で待っている学生たちにごあいさつをしたりする時間を残しておきたいからだ。このことこそが仏教の実践だ。他人を慈しみ、大切にすることが仏教の教えなのだ。
この教えは、今変わりつつある私たちの国でできる唯一最大のことだと思う。暴力や怒り、復讐(ふくしゅう)、権力を求めることではなく、私たちが望むのは、他人を愛し慈しむ気持ちを国内外の人々に広げることだ。ビルマは長年、真の平和から遠ざかっていた。私たちが独立した1948年以降、怒りや争いが途絶えたことはなく、常にどこかに武器があった。今も武器を持っている人、暴力で解決を望む人がいる。これが私たちの国の状況だった。
それを変えたいと思うならば、また本当の意味で仏教の平和と愛を国全体に広めたいと思うならば、お互いを大切にすることから始めなければいけない。ビルマには仏教だけでなく、さまざまな宗教の信者がいる。こうした人々に対し平等に敬意を表し、同じように愛し慈しみ合うことが必要だ。相手が仏教徒であろうとなかろうと、どんな宗教であるのかは関係ない。宗教で人々を隔ててしまうことは、真の仏教の道ではない。
仏教は決して民主化の概念と相反するものではない。仏教は私たち一人一人に価値を置いている。個人の人権に価値を持っているのが仏教だ。真に民主化された社会は、人権を尊重する社会でもある。先ほどこの会場に到着した際、非常に多くの人たち、特に若い男性たちが親しみを持って私を迎えてくれた。
しかし、人々がいつも慈しんでくれることを当たり前と考えてはいけない。慈しみや優しさは要求したり、お金で買ったり、あるいは強制させたりすることではない。それは自発的に与えられるものでなければならない。与えられたいのならば、与えることが必要だ。新しい民主的な社会を作りたいと思うのであれば、いま申し上げたような仏教の価値観が大切になってくる。
中には理想主義だと思う方もいるだろう。しかし私たちは常に努力して理想に向かわなければいけない。不可能であるかのようなことに取り組むことが必要だ。人間は最善のことができるのと同時に、最悪のこともできる。選択は我々の側にある。良い方に向かうか悪い方に向かうか。我々自身の利益のためにも、ぜひ良い方向に向かわなければいけない。今日の世界、人類のためにそう思う。
その時に重要なのは若者たちだ。若者たちには時間がある。必要な価値観を育てる時間があるのだ。社会変革のために仏教が果たす役割は何かと問われたならば、主たる役割は人を説得することではないかと思う。それは思いやりによって実現できる。他の宗教を軽視したり、視野を狭めたりすることは仏教の教えに反することだ。視野を広げ、寛大になって目標を目指すことが重要だ。
将来について楽観的かと問われれば、私は楽観的だと申し上げたい。なぜなら、一人一人が資質を持ち、社会を変えていく能力を持っているからだ。必要なのは意志と決断だ。仏教の価値を心に留めながら、私の国で政治的、社会的、経済的な変化を進めていきたいと思う。